Re:Sのこと

好きだった雑誌ばかり休刊になったりする。

うー、とそのときは嘆くのだけど、いつのまにかわたしも忘れて、日々過ごす。

けど、思い出すと、そのときの背景というか、どこでみつけたとか、

どうやってその店から帰ったとか、気温なんかまで思い出して、

ああ、そうや。ほんで、どこで読んだとか、

読んだ後、床に寝転がって天井をじっと見ていたんやった、とか、

もう、わーと思い出して、どきどきする。

それくらい大好きな雑誌が「Re:S」。「Re:S」!


昔見たものを今またあらためて見ると、違和感があったりするけど、

これはないなぁ。同じくらいこうふんする。

休刊になったといっても、今まで出ていたものはここにあるわけやから、

それを読めばいい。何度も読めばいい。


後ろのほうのページに、ライターの小宮山さくらさんが毎号連載していた、

「好きな人の好きな本」というのが大好きやった。

これを読んで、わたしも何冊か買った。

佐内正史さんの「鉄火」という写真集の説明の文から少し。(少しじゃないかな)



『「鉄火」には被写体としてありとあらゆるものが登場する。

記号、町、人、車。美しいものが美しく、黄色いものが黄色く、

柔らかなものは柔らかく、妙なものが妙なままそこにある。

筋が通り過ぎていてツッコめない狂気。

緊迫しているものと暖かくゆるんだものが混在していて、

そのバランスにドキドキするし、その全てがキラキラとまぶしい。

吸い込まれるんじゃなくて、向こうから近寄ってくる感じ。』



『私たちは絶えず移動しながら、とりあえず今はこの場所で生きている。

全ての通過点には見えるものがたくさんあふれていて、私たちは、それを見る。

ふんわり、ではいけない。きちんと、ピントを合わせて、凝視しなければいけない。

覚えたいと思ったなら覚えればいい。そうでなければ忘れればいい。

あんまり気に入ってしまったら、愛してしまってもかまわない。

要は好きにすればいいだけの話だ。

佐内さんの写真を見るたびにそんなことを思う。

「それしかない」人と「それ」との関係に、私はいつも胸がちぎれそうな憧憬を抱く。

彼には写真があって、写真しかなくて、代わりになるものはどこを探しても絶対になくて。

そのノット・オルタナティブな在り方からは、どうしたって目が離せない。』



顔をあげれば、今までとはちょっと違って見えるようになるこの感じ。

言葉はやっぱりすごいなと思う。

佐内正史さんから小宮山さくらさんに。

小宮山さくらさんの文を読んで、わたしに。「Re:S」ありがとうやわ。