町子
川上弘美さんの「ハヅキさんのこと」という掌編小説集の中のいちばん初めの、
「琺瑯」が、わたしはすごく好き。
3年くらい前、ずっと辞めたかった仕事をやっと辞めて、(この書き方はよくないな。けど本当)
アルバイトも少ししかしていなくて、時間だけはいっぱいあって、
でもお金はないから、原付に乗って図書館にばかり行っていた。
そのときに、この「琺瑯」の中の町子を、いいな、と思ったのだった。あこがれ。
町子は、琺瑯の洗面器と、それを包む風呂敷と、
あとは、着ているものも含めて、下着も、着替えも、二組ずつしか持っていない。
町子はいつもその洗面器を肌身離さずに持っていて、
外に出る時も、洗面器を風呂敷に包んで腰に巻きつけて持って歩く。
着たものは、固形石鹸を泡立てて、洗面器の中でていねいに洗う。
これだけでひとって生きていけるんや、と思った。
町子は、何にも期待していないし、取り繕ったりもしてない。
ほんまにいいな、と思って、ほんで、返した。
それで、この間、町子を思い出した。
洗面器で洗濯する町子を思い出した。
本当は町子という名前なことは忘れていたのだけど、
もう一度、読んでわかった。町子やった。
久しぶりに読んで、ちょっと苦しくなった。
強いと思っていた町子は、弱いのかもしれない。わからない。弱くないかもしれない。
弱いかもしれない。まあ、弱くてもいいし、強くてもいい。
町子の洗面器も風呂敷も固形石鹸も、わたしは、やっぱりいいな、と思うけど、
けど、なんやろう。前に読んだときよりも、かなしいような感じがした。
話の中に、町子の爪が洗面器にあたって、かりん、という音がする。と書いてあって、
その「かりん」という音がどんな音なのか聞きたくなった。
わたしの家には琺瑯の洗面器はないけど、タッパーのような、琺瑯の容器があるから、
それに何度も爪をあてて、「かりん」という音を聞こうとがんばってみたけど、
「とん」とか、「かん」という音しかしなかった。