「だれにもいえない」

岩瀬成子さんの本を読んだ。

何カ月か前に学校の講座で取り上げられていて、そのときにちょっと読んで、

それからずっと気になっていた。

岩瀬成子さんを、わたしは、いわせなりこさんと思っていたけど、

いわせじょうこさんと読むみたい。



グレン・グールドをわたしは知らないけれど、でも、とてもゆっくりとした

トルコ行進曲」はあかるくて、光がきらきらしているようだった。

野々山さんの長い指が鍵盤をしっかりとたたく。野々山さんのほっそりとした背中が、

音楽の中にとけこんでいるように、しなやかに動いた。

野々山さんはピアノがとってもすきなのだ。そのことがつたわってくる。』


『このまえ野々山さんに「すきって気もちは、これからどうなるの」といったとき、

いいながら、わたしは自分の気もちをちゃんといえていないと思っていた。

わたしがいいたいことは、こういうことじゃないんだけど、と思った。

でも、じゃあ、どういえばいいんだろうと考えても、どういえばいいのかわからなかった。

だれかにわかってほしいのに、でも、きっと、

だれにもわかってもらえないだろう、という気もした。』


『飼っていたインコが死んだ日のことを思い出した。水色のインコはとまり木の下で

死んでいた。死んでしまって、それから、ものすごく大きな後悔の気もちがわいた。

もうおしまいだ、とはっきりわかってから、

それまでインコのことを気にもとめていなかったことに気がついた。

いつまでも部屋の隅のカゴのなかにいるもんだと思っていた。

わたしは泣きながら、どうして自分が泣いているのかわからなかった。

まるで、うそ泣きをしているような気もちになった。』




この、「だれにもいえない」の主人公は10歳の女の子やけど、28のわたしもそう思う。

言いたいこととか、思ったことをそのまま言うことがむずかしすぎる。

言っているうちに、だんだんわかんなくなって、全然違うようになって、

あれ、わたし、こんなん言おうとしてたわけじゃないねん。ちゃうねんってなる。

もうそんなの日常茶飯事すぎて、ほんとうのこと、っていうか、

ほんとうに思っていたはずのことなんて、全部言えてないんじゃないかな。

もっとするすると外に出せたらいいのにと思うけど、

なんでするすると出したいのかもよくわからなかったりもして、なんやろう。なんやろう。

ぱっと出てしまった言葉に自分もくるしくなったりして、もう。

ひとつひとつに込めたい。

めんどくさがりやし、雑やし、すぐ適当にするし、

それでまたくるしくなる。


ひとがしていることを見て、いいなと思うこととか、

あー、もうなんでこんなふうにできるん、と思うこととか、

ちょっとでも近づきたいって思うのはなんでやろう。

わたしはすてきになりたいのか。