ひきつづき「安心毛布」の

ちょっと休憩。(ほんとうは休憩ばっかり)

たくさんうれしいこともあって、それはわたしにはかかえられへんくらいうれしいことだったりもして、

ううー、と動けなくなる。


ねえ、どうしてこうしたいの、したの、と質問されると、

うまく答えられない。え、こうやからこうなんです。

さっきからおもしろいね、って、全然答えになってないやん、って。

論理立てて説明できなくても、なにか思うものがあるんやねってやさしいけど、そうでもないかもしれない。

なにもないよ。


ひとと会うとわっと目の前が明るくなることも、混乱することもあって、

いろんなひとがいるから、いろんな意見とか考えがあるのはあたりまえで、

わたしが全然わからないことだと、否定したくはないけど、からだ全体で拒否してしまう。なにごと。

でも、わたしは今、川上未映子さんの本を読んでいるから、大丈夫やった。


『幸せとは言葉が連れてくるなんだか善いものでできあがっている感じのするイメージで、

本当は得体のしれないものなのだ。だから自分が本当に幸せかどうかはさておき、

人から「幸せそう」と思われないと不安になって、やがてそれは「幸せでなくちゃいけない」

強迫観念に変わってしまう。

わたしの思う強くて美しい女性というのは、そういったことから自由になっている、

つまり幸せを信じておらず、かつ求めていない人たちのことだ。

幸せとは誰かに叶えてもらうものでも、なるものでもなくて、ましてや持続するものでもなく、

あるとすればそれはささやかな日常のなかで機嫌の良さとふっと一緒にやってきてはすぐに消えてしまう、

匂いのようなものだと知っている人たち。

幸せとは、思わず口ずさんでしまう、何でもない鼻歌以上のものではないということを

知っている人たちのことだと思う。』


『そんな女性たちを見ると、ただただうれしくなる。わたしもそうなりたい、

どうやったらあんな風になれるのか、などという欲望の芽生える余地を、しかし彼女たちはもう与えない。

彼女たちはただ無言のままそこにいて、一度しか生きることのできない人生を生きているわたしたちに、

やはりおなじように一度きりの人生を生きているその場所から、いくつもの強さをただ黙って示してくれるのだ。』


わたしもそんなひとたちを見たいなと思うよ。