バナナを見て
うちの野菜室にはいつもバナナがある。
おとうさんが毎朝食べている。
おとうさんもおとうとも朝が早いから、わたしがのそのそと起きるころにはもう誰もいない。
電気がついたままだったり、ガスが43度設定でついたままだったり、
テーブルのうえに飲みかけのマグカップがあったり、
パンくずのついたお皿、そのうえにバナナの皮が載ったままになってる。(捨ててほしい)
わたしは、気が向いたら捨てるし、気が向かなかったらそのまま放っておく。
バナナを見ると、
「バナナを最初食べようと思ったひと、すごいよな」と言ったひとのことを思い出す。
「なんでもそうやけど、バナナすごいな、めくって誰が一番最初に食べたんやろうな、だって、これやで」と言ったひと。
タイに出張みたいな感じで働きにいっていたとき、寮に住んでいた。
3LDKのマンションに4人。けっこう広かった。
1カ月ごとに人が入れ替わったりもしていたけど、わたしがいたときはけっこう定着していたときで、
わたしと、わたしの同期の子と、ひとつ年上のひとと、あと他店の店長だったひと。
わたしと、わたしの同期の子は、ひとり一室あって、
ひとつ年上のひとと、店長は、同じ部屋だった。一緒がいいと言ってた。多分。
その店長のこと。店長もよくバナナを食べていた(ような気がする)。
それで、バナナの皮をめくりながら、
「なあ、バナナを食べようと思ったひと、〜」と言った。
そのときの光景を覚えている。
多分休みの日の朝で、電気をつけてなくて薄暗くて、店長はいつもどおり髪をてっぺんでまとめていて、
わたしは、そうやってまとめるのが似合うのいいな、といつも思っていた。
真ん中のでっかい、ほんとうにでっかいテーブルにひじをついて皮をめくりながら、そう言ってた。
なあ、とでっかい声で、目を大きく広げて、そう思わん? と、全身で言っていたのがおもしろかった。
真似をしないと伝わらないだろうな。とにかく、おもしろかった。
店長おもしろかったな。
店長だけ、別の店で働いていたから、普段朝は別々だった。
タイにいたとき、ちょうリッチな生活というか、運転手さんがいて、朝いつも迎えに来てくれてた。
運転手さんの名前は、イットさんといった。
それで、わたしは後ろの座席に座って、いつも窓の外を見ていた。
あたりまえかもしれないけど、やっぱりタイの木は日本と違った。
木の名前をよく知らないからわからないけど、とても大きいヤシの木みたいなのばっかりだった。
そしてある日わたしはバナナの木をみつけた。
きみどり色のバナナが房になってたくさんついていて、葉っぱもでっかくて、
うお、バナナの木や、はじめて見た、と思った。
そのとき多分、バナナなってる! と言ったけど、他の子の反応は薄かった。
あ、ほんまや、ふーん、という感じやった。
わたしは、店長に言おう、と思っていたのに、忘れていた。そのままになってた。
多分、店長はまだタイにいるのだと思う。
わたしはいつも一人の部屋に入ると、
大音量にしてイヤホンで音楽を聴いてた。朝と夜寝る前。なにを聴いてたっけ。
店長はいつだったか、わたしイヤホンあかんねん、と言ってた。
わたしは、イヤホンで入れ込むように聴かないとだめだった。あかんかった。
このあいだからずっと読んでいた「十三歳の夏」という本を読み終わったのだけど、
その冒頭は、こんなだった。
『知らない町には、知らない町のにおいがある。ひとりひとりの顔がちがうように、
それぞれの町には、それぞれのにおいがある。』
読んだとき、最近ずっと思っていたことだ、と思った。
はっきりわかるのは、夜。夜の帰り道。
暗い道をひとりで歩いていると、わたしが歩いていることはまったく一緒なのに、
今の場所と、ひとり暮らしをしていた場所はそんなに離れてないのに全然違う匂いやと思うし、
タイなんて、もちろん違うかった。
タイって遠いのに、思い出すと、あの空気までも首のあたりに蘇ってくる。近い。
近いと思う。
部屋の、朝の感じも、夜の感じもはっきり思い出す。近い。
なんやろ。でも、夢でみていただけのような気もする。なんやい。
あのときのひとたちとは疎遠になってしまった。それはわたしのせい。
今やったらごめんって言えるし、ほんまにありがとう、とも言えるけど、
今あらためて言うってなると、やっぱりためらう。
それは言われへんってことか。だめやね。だめだ。