あきらめることとか

トランペッターのこだま和文さんの本が急に読みたくなった。

あきらめることについて書いてあったのを思い出して、さっき読んだ。

「空をあおいで」という本。


『今、あきらめるという言葉が気に入っている。

 世間というものは、あきらめるという言葉を、がまん、に置きかえて、
 
 ネガティブな言葉を、嘘のポジティブさに変えてきたのではないかと思うのだ。

 あきらめが肝心という肯定的な使われ方をする場合もあるにはあるが、それはそれでよい。

 
 とにかく、ひとつひとつあきらめることだ。もっと有名になりたい、

 もっといい生活がしたい、もっと美人になりたい、もっと人に好かれたい、

 もっと、もっと……。あるいは、あいつをなぐりたい、人を殺したい、

 リベンジしたいetc、ひとつずつあきらめよう。


 冷たい親や人間は、がまんや忍耐が欠けていると言って子供を教育しようとしているが、

 今の日本の子供あるいは少年少女に欠けているのは、自由、というものだ。

 とことん自由になるためにもっとあきらめるのだ。


 目の前にちらつく手が届きそうもない欲求、金銭欲、

 それらをひとつひとつあきらめること。がまんするのではなく、あきらめるのだ。

 ただし自分や他人を傷つけることなく、息苦しくなる原因をひとつずつあきらめて、

 自由を得るため不必要ながまんをせずに、持てあます情報を見極めて、あきらめる。

 あきらめても、あきらめても、あきらめきれない強いものが見えてくるはずだ。』



これを読んだら、いつも思い出すものがあって、それは、

金色の表紙の、マザーウォーターのパンフレットの大貫妙子さんの言葉。


『日々は積み重ねなので、人は年をとるといろんなものを抱え込むって、

 若い頃は思っていたんですけど、ある時から、そうではなく、

 いろんなものを捨ててシンプルになっていくんだなってわかってきた。

 けれどそれでも自分の中でなくせないものってありますよね。
 
 それをもってゆくんだろうなって。』


これって同じことかな。どうやろうね。




ちょっと時間ができると、忘れていたことを思い出す。

今、通勤の電車の中で、乙骨淑子さんの「十三歳の夏」を読んでる。

超オススメだと、すすめられて、だから読んでる。すごくいい。まだ3章の途中。

今日はほんとうに天気が良くて、電車の中にも、光がたくさん入ってきていた。

そしてその本は、けっこうおっきくてどっしりとしていて、

なんかもう、わたしこんなのがすごく好きやと思った。全部含めて好き。

なにそれ、って感じやけど、じいん、と好き。ちょう好き。