石田千さん

昨日、石田千さんの朗読会に行った。

最近、ずっと朗読会というものがとても気になっていた。

なんだかよく目にするようになったし、行きたい行きたい、と思っていた。

でも大体、行きたいな、と思うものは、東京だったりするから、

そうやんな、東京やんな、と思っていた。

石田千さんが大阪で、しかもリズールで、と、とても楽しみにしていた。


なんとかきいちろうさん(ごめんなさい、名字忘れてしまった)という方が、

バックでギターを弾いて(アコースティックギターと言っていた)、

石田千さんが読んだ。

石田千さんの本はわたしは好きで、ほとんど読んでいる。エッセイが多い。

エッセイやから、当たり前やけど、自分のことを書いているから、

わたしは石田千さんのことを、少し知っている。

昨日読んでいた話のなかにも出てきたのだと、

子どものころに家にあった時計が、パタンと数字が入れ替わるデジタル時計やったから、

時計の針を読めなくて算数のテストで0点を取ったことを知ってた。


他にも、お酒が好きなことも、豆腐屋によく行くことも、銭湯が好きなことも、

学生の頃、絵葉書屋さんでアルバイトをしていたことも、

大学の頃、英会話のなにかの教室にいたときルーシーと呼ばれてはずかしかったことも、

その英会話教室(ちょっとちゃうかもクラブやったかな?)で一緒やったひとを好きになったことも、

友だちの子どもの名前が、ひなこちゃんなことも、

本箱がいっぱいになれば、ひとにあげたりすることなんかも知ってる。


読んだから、当たり前なんやけど、当たり前やけどちょっとふしぎな気がした。


石田千さんの声は、やっぱり石田千さんの文に合っている。

合っているという言い方は、ちょっと変かもしれないけど、

わたしが読んでいたそのままな気がした。わたしが、は、いらないかな。

読んでいたそのままやった。読むはやさも、トーンも、文章のままやった。

石田千さんは、見たものをそのまま丸ごと書いてくれているけど、独特で、

あまり誰も使わない言葉を使うというか、

そこでは使わない言葉を使うのに、そのまま言い当てているから、もう、すごい、うわーってなる。

うわーってなるけど、石田千さんはずっと落ち着いていて、そのまんまなのが、またすてき。

これからは、石田千さんの声で読めるようになった。うれしい。


千さんは(ここから千さんにする)、昨日、

もの自体よりも、ものの周りの方に興味があると言っていた。

ものは見えているからもういいと言ってた。自分にはあまり興味がないとも言っていた。

それを聞いてわたしが思ったことがあって、今書こうとしたけど、うまく言えない。

なんて書こうとしたっけ、わかんなくなった。まあいいや。


全然違うことになってしまうけど、毎日思うことがあって、大したことではないんやけど、

夜仕事が終わって、最後帰るときに、絶対に入れるのを忘れたらあかんで、っていわれているスイッチがあって、

それを入れ忘れると、次の日仕事ができなくなるらしい。

だからわたしは絶対に忘れないようにって、何度も何度もチェックする。

多分毎日10回くらい確認している。

それでも、帰り道にスイッチのことを考える。ちゃんと入れたよなぁって考えてちょっと不安になる。

そのとき、近くを歩いているひとを見て、このひとにはあのスイッチ全然関係ないなぁ、って思う。

そう思うと、ちょっと気が楽になるというか、なんか、どうでもよくなる。

ほんで、このひとにはわたしが言うところのスイッチのようなもんがあるんやろうかって考える。

でもそんなん知らへんし、わたしにとってはほんまにどうでもいいことやろうし、多分一生知らへん。

けど、なんかあるんやろうな、って思う。それも見えへんことのひとつやと思う。

ちょっとちゃうかな。どうやろ。


ちなみにスイッチを入れ忘れたことはまだない。これからはわからへん。こわい。