おばあちゃんのお赤飯

テーブルの上に赤飯があった。

えんじ色っぽいパックに入った赤飯。

昨日、おとといと、おねえちゃん一家がおばあちゃんちに行っていたから、

あ、きっとおばあちゃんのお赤飯や! と、うれしくなった。 

食べたら、おばあちゃんちの味がした。においも。


テーブルの上には、他にも、なつかしいそばかりんとうも、

(とってもおいしい!そばドーナツもおいしい!)、

丸いお餅も、豆餅も、袋に入ったまま置いてある。

ついでに、きび田楽まである。

それを見ているだけで、わたしがおばあちゃんちから帰ってきたような気分になった。

でも、行ってない。行きたかったなぁ。



おととい、本屋で高山なおみさんの「今日もいち日、ぶじ日記」をみつけて、

あ!ヨムヨムで連載していたやつや、とうれしくなって、今少しずつ読んでいる。

帯に書いてある文は、たまたまわたしもヨムヨムで読んだことのある文で、

大好きで、書きうつしていたもの。




『「みんなと足並みをそろえ、世の中からはみださないようにしなさい」

 「もっと大きな声で、語尾までハキハキ自信を持って答えなさい」。


 でも、本当にそうなの? みんな頭だけで、口の先っぽだけで言っているんじゃないの?

 
 この世界は本当は、誰にもなんにも分からなくて、ゆらゆらしてて、あてどのないもの

 なんじゃあないの?


 だから私は、自分でみつけることにした。


 迷うし、ぐちゃぐちゃだし、情けないし、しつこいし、どこからどこまでが

 自分なのかも分からないけれど。

 目の前のものをしっかり見、隣にいる人のことをちゃんと感じ、空気の匂いを嗅ぐ。


 そうやって、感受性をすり切れるまで使うことでしか、

 この世を確かめることなんてできないから。』



高山さんは、山梨県に家を買ったみたい。

わたしが今読んでいるところでは、銀行でお金を下ろして、

リュックのいちばん底にそのお金をしまって、契約を終えたところ。


いいな、山荘。いいな。と、そればかり考えている。

高山さん、いいな。大好き、とも思っている。




わたしのなかの自然、イコール、おばあちゃんちだから、

自然の豊かなところへ行ったり、自然、と聞いて、

思ったり、思い出すのは、おばあちゃんちのこと。


子どものころは、車で早くて4時間、渋滞だと、7〜8時間かかるその道のりのおかげで、

(ほとんど、そのあいだ眠っていたのもあって、)

ほんとうに、「別世界」へ行ったみたいだった。

今も、よくわからなくなることがある。

あの場所は今もあるん?って。

帰るとき、毎回大泣きをしていたわたしは、未だにおねえちゃんに笑われる。

「ちほ、いつも2時間くらい泣いてたなぁ」って。


おばあちゃんちの敷地内で、すごく好きな場所がある。

おおきな畑が並ぶ、その隙間に歩いて行ける少し上り坂の道があって、

そこをのぼったところの頂点。(なんていったらいいのかわからない)

多分小学生のころから、よくそこにいた。


おばあちゃんちにはモリーちゃんという猫がいて、

庭でうろちょろしているモリーちゃんを抱きかかえて、一緒にのぼった。

昔は、その頂点でモリーちゃんを下ろして、ぼーっとしていると、

モリーちゃんは、いつのまにか狩りに出ていた。

3年前は、わたしから少しだけはなれた場所で丸まっていた。

家のほうに戻るとき、モリーちゃんはわたしの後ろをずっと歩いてついてきていた。

わたしが振りかえると、ちょっとめんどくさそうな顔をして、目を細めた。

かわいかったなぁ、たまらん。

20年いたね。

たまらん。