「皮膚と心」
さて、わたしは今日「皮膚と心」を読んでいた。
さてと言うのはおかしいかな。まあいいや。
わたしは今日「皮膚と心」を読んでいた。太宰治の「皮膚と心」。
『いつもあの人は、自分を卑下して、私が何とも思っていないのに、学歴のことや、
それから二度目だってことや、貧相のことなど、とても気にしていて、こだわってい
らっしゃる様子で、それならば、私みたいなおたふくは、一体どうしたらいいのでしょう。
夫婦そろって自信がなく、はらはらして、お互いの顔が、謂わば羞皺で一ぱいで、あの人は、
たまには、私にうんと甘えてもらいたい様子なのですが、私だって、二十八のおばあちゃんですし、
それに、こんなおたふくなので、その上、あの人の自信のない卑下していらっしゃる様子を見ては、
こちらにも、それが伝染しちゃって、よけいにぎくしゃくして来て、どうしても無邪気に可愛く
甘えることができず、心は慕っているのに、逆にかえって私は、まじめに、冷い返事などしてしまって、
すると、あの人は、気むずかしく、私には、そのお気持がわかっているだけに、尚のこと、
どぎまぎして、すっかり他人行儀になってしまいます。』
ひさしぶりに読んで、全部、全部を書きうつしたくなった。
あたらしいノートを買ってきて、書きうつしたい。
『筋子なぞを、平気でたべる人の気が知れない。牡蠣の貝殻。かぼちゃの皮。砂利道。虫食った葉。
とさか。胡麻。絞り染。蛸の脚。茶殻。蝦。蜂の巣。苺。蟻。蓮の実。蠅。うろこ。みんな、きらい。
ふり仮名も、きらい。小さい仮名は、虱みたい。グミの実、桑の実、どっちも、きらい。
お月さまの拡大写真を見て、吐きそうになったことがあります。』
ああ!と思って、喉と胸のちょうど真ん中をぐっと抑える。
じゃないと、落ち着かなくなるから。
最後の解題に、
『「皮膚と心」は昭和十四年に書いた。私は男のくせに、顔の吹出物をひどく気にするたちだったので、
こんな作品を思いついた。』と書いてあった。
昭和十四年のころ、わたしはどこにおったんやろ、と思ったとき、
おばあちゃんちの納戸を思い出した。なんでやろう。
でも、それで、明日おばあちゃんに電話しようと思った。朝、しよう。